某所で新月予報を出している「星見当番」の裏日記。裏当番&裏テントチームが執筆を担当


by ura_hoshimi

<   2005年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

パンダのオーブンミトン

お久しぶりです、食事当番です。

裏当番が撮影担当になり、やっと「パンダのオーブンミトン」の写真を
撮ってくれました(デパートの物産展で買った)。こちらです。

c0054904_1128032.jpg


片手を胸に当て、もう片方の手を斜め上に上げて
「ハ~イ」とでも言いたいのか福パンダ。それとも選手宣誓か?

「宣誓!我々パンダミトンは、クッキングアシスタントシップにのっとり、
正々堂々と、オーブン料理をアシストすることを誓います」

これが実はもう一個あり…

c0054904_11284598.jpg


反対側にはめるミトン。謎の漢字を腹につけ、福パンダとは
逆側の手を上にあげております。左右対称だから(笑)。

二匹を並べて写すと…
「えーかげんにしなはれ!」「えーかげんにしなはれ!」
互いにウラ手ツッコミをしあう双子パンダ。
…あんたたちって仲が悪いの(笑)?

c0054904_11315718.jpg


後ろ姿も気を抜かないメイド・イン・チャイナ。尻尾がキュート。

c0054904_11325491.jpg


上げた手が外側に出るように並べると、「バイバ~イ♪」って感じ(笑)。
裾のところにぴょろっと出ている黒いヒモは、フックにかけるための
布ループです。でもこれで吊るしたらパンダ逆さ吊りになるじゃんねえ。

いつかこのパンダのミトンをはめて、オーブンから焼きたてお菓子を
取り出したところを撮影してもらおう(笑)。

ところで、お針当番も作品を沢山撮影してもらってましたよ。
結構な数になったので、お部屋を別にした方がいいかなって
裏当番が言ってました。え~、お針、別部屋に行くのか。
…え?あ、こっちの部屋でもお針は文章を書くそうです。
画像だけ、ギャラリーを作ってアップするんだって言ってます。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-27 11:45 | 食事当番記す

久々のお針当番

裏テント日記をブログに変えてから、初めての登場。お針当番です。

わたくしお針当番の愛読書って、もう書きましたっけ?
書いていない?じゃ、あらためて自己紹介から。

お針当番。縫い物・編み物などの針仕事全般を担当。

学生時代には自分で製図をしてワンピースくらいは縫っていたけれど
社会人になってからは時間がなく、もっぱら小物ばかり作っています。
最後に大物を仕立てたのは、数年前に「浴衣手縫いコース」を受講して
自分の浴衣を仕立てた時、かな(頑張って総手縫いで二着完成)。

小物の中では袋物作りが割と好きです。
それから、「これは得意!」というものは文庫本用のブックカバー作りかな。
編み物は、マフラー・帽子程度の小物なら得意。棒針・かぎ針両方。
セーターは…一枚だけ完成させたことがあったっけ(笑)。

刺繍は…下手の横好き。現在、刺しかけでほったらかしの作品が山積。
色糸を使う刺繍では、青木和子さんのデザインが一番好きです。
現在、ハーダンガー刺繍やヒーダボーなどのホワイトワークに興味あり。
クロッシェ・タティングもたま~に手がけています。
それから、針を使うものではないけれど、ビーズ細工もたまに。


いわゆる「手芸の本(作品と作り方解説がメインのもの)」以外で
わたくしお針当番の愛読書は

『袋物のはなし』(森南海子)
『私の美の世界』ほか、森茉莉の著作
その他、衣装の話題が出てくる小説全般です。

好きな色は薄紫・紫みのピンク・ブルーの濃淡・淡い緑・カナリアイエロー・白。

最近ハマっているジャンルは…お人形遊び(爆)。
ああ、とうとう書いてしまいました(*/□\*)。
去年「お人形の服作りの本」に一目惚れしてしまいまして、
お洋服を作りたいあまりに、お人形を買ってしまいました(順序が変?)。
それも、限定生産の黒髪姫カットのリカちゃん人形を…
以来、ちまちまちまちまと、お人形の服を縫う日々…。
現在、完成品が二着。三着目がなかなか仕上がらない…。

いずれ、彼女(というのはそのリカちゃん人形のことですが)が
わたくしの名代として裏テントに登場することとなるでしょう。
その日が、わたくしお針当番にとって「後戻りできない橋を渡る日」。

その日こそ…この裏テントが「真の魔窟」となる日(笑)。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-21 01:14 | お針当番記す
深夜である。裏当番である。

この前、別の場所にも書いたのだけど「裏テント」「表テント」が
立ち上げられる以前から、裏当番と裏チームの各当番、及び
表当番は存在していた。

各当番の間には成立年代の差がある。
表・裏両当番は、生まれてからかれこれ12~3年は経つか。
(ああ、もうそんなに経つのか。月日の流れは早いものである)
食事当番・お針当番・お庭番がキャラとしてはっきりと別れてきたのは、
表当番・裏当番が生まれて2~3年後くらいからかと記憶している。

我ら当番の中で、飛びぬけて古くから存在しているのは「歌当番」だ。
きくところによると、歌当番は宿主が6歳くらいの時には既に存在したという。
6歳というと、小学校一年生だ。ちょうど宿主がピアノのレッスンに通いだし、
(たった1年間しか続かなかったが)楽譜を読むことと音をドレミで捉えることを
曲がりなりにもマスターしはじめた頃に当たる。

「それ以前は歌当番ってどこにいたの?」と訊いてみたが
歌当番自身、それ以前(宿主によって存在を確認される前)のことは
忘れようとしても思い出せないのだそうである。

とりあえず、こういうことにしておこう。
6歳のとき、宿主どのは自分の中に歌当番(の前身)がいることを知り、
それ以来ずっと、歌当番は常に彼女と共に暮らしてきたのである。

歌当番によれば6歳の頃、宿主どのは気づいたのだそうだ。
「自分で実際に歌わなくても、何の楽器も演奏しないでも、
一度聴いた曲が耳の中で鳴り響くのを私は聴くことができる」と。

宿主どのは最初は、不思議だったんだそうだ。
自分が耳の中で音楽を再生できるということが、ではなくて
「こんなにも自分の耳にははっきりと聴こえている音楽が、
自分の耳の外では鳴っていない」ということ、つまり
「自分に聴こえている曲が、他人には聴こえないことがある」ということが。

最初、宿主どのは思っていたんだそうである。
「今わたしが聴いている曲が私の耳の外じゃなくて中で鳴っているのなら
私の耳から音が出ているわけだから他の人も聴こえるんじゃないか」と。
しかし、どうやらこれは他人には聴こえないらしいと彼女にもわかった。
自分の耳に聴こえる曲は、自分の耳の中で実際に音が出ているわけじゃない。
かなり大きくなるまで、宿主どのはこれが不思議でたまらなかったそうだ。

最初、宿主どのは「自分が聴いた曲をリアルに思い出せるだけだ」と
思っていたらしい(歌当番いわく)。しかし、じきに悟った。
「自分が特に思い出そうとしていなくても、勝手に音楽が鳴ることがある」
「一度鳴り出すと止まらない時がある」

…まあ、つまりこれは、歌当番のしわざであったわけだが(笑)。
そんなわけで、歌当番は当番の中でも長老格なのである(実は)。

歌当番と宿主どのとの絆は、他のどの当番よりも深い。
成長の過程で、「結局歌当番って、なんなんだろう」と考えることも
多かったようである。宿主どのの立てた推測によれば、
歌当番の存在は「音をドレミでとらえる能力」の発達と
何か関係があるんじゃないかという。宿主どのによれば、
「歌当番が鳴らす曲には、音にドレミのルビがついている」のだそうだ。

「音にルビがついている」というのも変な感じではあるが
歌当番が音楽を鳴らすときには、それがどんな曲であっても
楽器だけが鳴っているときでも歌詞がついているときでも、
その音以外に、メロディにそって低く人の声でドレミで歌う声が
入っているんだそうだ。

それを「ドレミのルビ」と歌織は呼ぶ。
そして、そのルビは、どうしても取れないんだそうだ。
それが、「耳の外で鳴る音楽を聴いている時と、
歌当番が鳴らす音楽を聴いている時の違い」だと彼女は言う。
ただ、耳の外で鳴る音楽を(歌当番と二人で)聴いているときも
歌当番は音を追いかけてドレミのルビを振っていこうとするんだそうだ。

ともかく、歌当番が鳴らす音楽に耳を傾けながら、
われらの宿主どのは大きくなった。
歌当番と宿主どのはずっと離れることがなかった。
宿主どのは「歌当番」を「音楽の小人」として認識してからは
他の人の耳の中にも同じような音楽の小人がいるものだと
途中まで思いこんでいた、と歌当番が言っていた。

ソ○ーのウォークマンが初めて登場し、
それを四六時中装着して「自分だけの音楽」に包まれて
生活する若者たちのことが社会現象にまでなった時。
宿主どのはまだ小学校を卒業していなかった。
その頃裏当番も表当番もまだ生まれていなかったんだが、
歌当番が記憶しているところによれば、その当時、
宿主どのは心底驚いたそうである。

周りの音をシャットアウトして、「自分だけの音楽」に包まれる。
宿主どのは、そんなことは6つの時分から自前でやってたんである。
まさか、イヤホンを耳につっこんで大音量で音楽を鳴らさないと
周りの音をシャットアウトすることができない人間がいるとは
宿主どのは夢にも思っていなかったし、
「常に周りの音を遮断して自分だけの音楽に耳を傾けること」が
社会問題になるほど由々しいことだとも思ってなかったそうである。

世の中には、音楽の小人を自前で飼っていない人や
音楽の小人がいてもあまりその力が強くない人もいるらしい。
歌当番は、よその人の耳の中にも自分と同じようなものが
住んでいるのかどうかはわからない、と言っている。
歌当番の記憶にある限り、現在の宿主以外の人間の中には
入ってみたことがないし、自分と似た存在にも会ったことはないそうだ。

大人になった今でも、歌当番は宿主どのの中で日々歌い続けている。
結局歌当番とは何なのか、宿主どのにも裏当番にもよくわからない。
歌当番は、他のメンバーが知らない宿主どのの幼少時代を実によく
記憶している。しかし、歌当番自身のことはあまり説明してくれない。

宿主どのの推測によれば、歌当番は「音にドレミのルビを振る能力」と
「ものごとを記憶・再生する能力」に関係のある何者かじゃないかという。
歌当番が宿主どのの過去をよく覚えているくせに、歌当番自身のことは
うまく話せないのは「歌当番は音と記憶の精霊のようなものである」と
仮定すれば説明がつくんだと宿主どのは言っている。
記憶は記憶自身を記憶できない、だから説明ができない、か。なるほど。

ともかく、歌当番は今日も歌い続けている。
裏チームの誰よりも古株の癖に、誰よりも若い感じがする。
それが歌当番の不思議なところ。

結局、歌当番とは何者なんだろう。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-16 01:57 | 裏当番記す

画像アップ実験&後遺症

【お庭番と裏当番による画像アップ実験】

お庭番でござる。裏当番に頼んで、やっと撮影してもらったでござる。
拙者悲願のプリンセス・ドゥ・モナコ~。
到着から二週間弱。最初は枝ばかりだったプリンセスにもこんなに葉が出た。
お日様の光と空気と水だけで、ここまで変化があるとは。拙者、感涙。
(それはつまり、水やり以外はろくに世話をしていないということじゃないかい?)

c0054904_18285096.jpg


ピンぼけなのはご容赦願いたい。まだまだ裏当番もデジカメを扱い慣れず。
撮影は本日の午後。薄曇りで寒く、光量もやや少なし。

もう一枚。萌え出たばかりのつやつや若葉を拙者接写。
拙者がせっせと接写する。せっせっせ、のよいよいよい。
貴社の記者が汽車で帰社中に喜捨。ええい、何をたわごとを。

c0054904_1829413.jpg


結局、裏当番が撮影当番を兼任することで話がまとまったみたいでござる。
裏当番、撮影修行に更なる精進をお願い申す。ニン!
(ああ~。はいはい…^^;)

【おバカミュージカル後遺症】

裏当番である。
歌当番のおバカミュージカルネタ炸裂で、裏当番は後遺症。
『オペラ座の怪人』を聴くと脳裏に榎木津礼二郎や木場修太郎の面影が…。
(挿絵があるわけじゃなし、どういう面影じゃ!とツッコまないでいただきたい。
おぼろなイメージとして浮かぶのである)

ことに、オリジナルロンドンキャストのファントム役、Michael Clawfordの
「威張りファントム」の時の声を聴くと、脳内で勝手に自動的に榎木津探偵に
変換されてしまって裏当番は大変に困っている。

「威張りファントム」別名を「ファントム俺様モード」。
ファントムという奴は、威張ったり自己陶酔したり誘惑したり手紙書いたり(笑)
笑ったり泣いたりキレたり怒ったりと実にめまぐるしく猫の目のよ~にくるくると
感情モードが切り替わる男なのだが(それが彼の魅力なんであるが)、
その中でも「威張りモード」「俺様モード」の時のファントムの声とセリフ
(実際には勿論、演じているMichael Clawfordの声であるが)というのは
実に実に、榎木津礼二郎探偵閣下によく似合うんである。

裏当番と歌当番が一致して選ぶ
「榎木津さんに歌ってほしいファントム名場面」は以下のとおり。

1.楽屋でラウルとクリスティーヌが「音楽の天使」をデュエット。
そこに遠くから響いてくる「不機嫌なファントム」の声

Insolent boy!
This slave
of fashion,
basking in your
glory!

(生意気な小僧!この慣習の奴隷め。自分の栄華に耽っているがいい!)

Ignorant fool!
This brave
young suitor,
sharing in my
triumph!

(無知蒙昧の愚か者!果敢なる求愛者。我が勝利に割り込む気か)

ああ、榎さんに“わはははは、Ignorant fool!”って歌ってほしい(爆)。

2.メインテーマ“The Phantom of the Opera”のデュエット

あのメインテーマのデュエット、Michael Clawfordの第一声は
見事な「俺様モード」で素晴らしいと裏当番は思う(歌当番も思う)。
最初の二音、“Sing once---”ミ・ラ~♪と跳ね上がるあの部分だけで
ご飯が何杯もいただけてしまうというものである。
“My Power”の部分も同じく。

炸裂強烈俺様モード。あの部分を是非榎さんにやっていただきたい。
“The Pha------ntom of the Opera is there-----”と声を張る部分も、
彼ならきっと見事に歌いきってくださることでありましょう。

さあ、榎木津礼二郎探偵閣下に歌っていただきましょう!
“The Phantom of the Opera”!!

Sing once
again with me
our strange
duet....
My power
over you
is stronger
yet...

And though
you turn from me,
to glance
behind,
the Phantom of the Opera
is there---
inside your mind...

(さあ、歌え
今ひとたび
二人の奇妙な二重唱を
お前に及ぼす私の力は
ますます強くなっていく

たとえ私から顔をそむけ
背後を振り返っても
オペラ座の怪人はそこにいる
お前の心の中に)

3.2のデュエットに連なる“The Music of the Night”の冒頭部分

“Night time sharpens...”で始まる甘い甘~い主旋律、
別名「誘惑ファントム君」の部分ではなく、その前フリである
デュエット直後に続く“I have brought you...”の部分。
オルガンの響きにのせて、声を張って威張る(笑)ファントム。
引き続き俺様モード炸裂のあの部分を是非榎さんにお願いしたい。

I have brought you
to the seat of sweet
music's throne...
where all must pay
homage to music
music...

「私はお前を/この甘美なる音楽の玉座へと連れてきた…
ここでは誰もが/音楽に敬意を捧げなければならないのだ
そう、音楽に…」

「音楽」を「探偵」に変えたらそのまま
「薔薇十字探偵社へようこそ」なテーマソングになりそうだな(爆)。
(初心者のための榎木津礼二郎豆知識講座。
薔薇十字探偵社=榎木津礼二郎氏の探偵事務所の名前。
主の榎木津礼次郎氏はおのがデスクの上に「探偵」と大書した
「三角錐」を立てている。彼によれば、探偵とは「神」なのである)

「私はお前を、この甘美なる探偵の玉座に連れてきた
ここでは誰もが探偵に敬意を捧げなければならないのだ
わはははは、探偵にひれ伏せ、愚か者っ!」

是非、探偵閣下に歌っていただきたい名場面であります。

ちなみに、榎木津礼二郎閣下には「俺様モード」のファントム以外全く、
全く!似合わない。特に「泣きのファントム」は笑えるほど似合わない。
そもそも「天下の榎木津礼二郎が咽び泣く」などという場面は全く、
誰にも想像ができない。彼はムーミンシリーズにおける「ちびのミイ」の如く、
「喜ぶか怒る」ということしかしない。彼は今まで作中で泣いたことがない。
多分「泣く」と並んで「切なくなる」という言葉も(表立っては)彼の辞書にはない。

案外、「泣きのファントム」は木場修太郎が好演してくれるかもな(ぼそっ)。
彼は照れ屋さんであるが(爆)、「切ない気持ち」というものに関しては
ひそかにたっぷり経験しているからな、ふっふっふっ。
しかし、木場修太郎は『オペラ座の怪人』で「泣きのファントム」を演じるくらいなら
拳銃でおのれのこめかみを撃ち抜く方を選んでしまうだろう。
似合うのに~。勿体な…おうっ!おうっ!その物騒なものをしまってくれっ!
悪かった旦那!もう言わないから撃たないでっ!!

もういっちょ、木場の旦那が演じて似合いそうなファントムの場面。
隠れ家でクリスティーヌが目覚めた朝、彼女にうっかり仮面を剥ぎ取られ、
うろたえながらブチ切れて怒るファントム(笑)。“Damn you!”の場面ね。
その後、少し穏やかになって歌う“Stranger than you dream it...”
の部分も、木場の旦那ならとても上手に演じてくれそうである。似合うなあ。

この部分は榎木津礼二郎氏には無理なんである。
榎さんは「暗さ」とか「屈折」とかにとことん無縁の人物なのである。
自分のことを「このガーゴイルは地獄の炎で焼かれつつ、同時に
密かに天国を夢見る…」などとは口が裂けても歌えない人物なんである。

木場修の旦那は「舞台に上がってこれを歌え」と言ったらかなり嫌がるだろうが

「…こいつの気持ちはわからねえでもねぇな、俺はよ」
くらいは言いそうだ。煙草くわえて、両手をポケットに突っ込んでな(笑)。

「勿論こいつにはわかる!なにしろこの弁当箱刑事は脳まで四角いからなッ!
お前の顔には四角い仮面を特注しなくてはならないッ!」

…と、弁当箱刑事の幼馴染であり元華族の御曹司なる探偵閣下は言うだろう。

「てめぇに言われたくはねぇぞこのバカ探偵。
そう言えばこの怪人って奴は天上天下唯我独尊で
元貴族な上にサル好きなところがどこかのバカ探偵にそっくりだな。」

「僕はサルが好きなわけではないぞ間違えるなこの顔面弁当箱!
おぞましい話ではあるがサルの方が僕を好いているのだ。
嫌な話だが僕の偉大さと魅力はサルにすらわかるのだから仕方がないッ!」

「…そう、サルサル言わないでほしいんだが…それに僕は…
…別に榎さんのことが好きなわけではなく…
…いや嫌いじゃないけど…変な意味で好きなのではなく…
…誤解しないでほしいんだが…ただ僕は…(泣く)」

「大変結構だッ!勿論僕はサルに変な意味で好かれる筋合いはないッ!
しかしたとえ君が僕の偉大さと魅力を理解しなくても、それでも
君がサルであることは動かしがたい!そしてサルは探偵の下僕なのだッ!」

「そんな、榎さん…困るよ…僕は…(また泣く)」

「うるさい!サルはサルらしく黙っている!」

「バカ探偵にバカ作家!お前らいい加減黙れコラ(怒)」


以上、裏当番監修・妄想による「探偵・刑事・作家」の三者怪談
もとい、会談の模様をお伝えしました。
「本屋」のセリフの形態模写をする技術と勇気は裏当番にはございません。
あしからず。


【京極堂シリーズの某探偵とムーミンにおけるちびのミイとの類似点について】

裏当番の私見であるが、榎木津礼二郎探偵と「ちびのミイ」には
キャラクター的に共通点がある。榎木津氏はギリシャ彫刻のような美貌で
大層な長身の美丈夫、片やミイはパンケーキの上に座れるようなちびだが。
(おいおい、「びじょうぶ」と打ったら「微丈夫」って出たぞ。また微妙な変換を…)

行動が激しく、言動も激しく、しかし「情熱的」ではない。
ウェットなところがまるでなく、皮肉は言うが泣いたり拗ねたりしたことがない。
(榎木津氏の場合は、皮肉を言っている意識すら、多分ない。
聞く側に皮肉と取れるようなことはかなり沢山―笑―口にしているが)
ついでに言えば何かを羨んだり、恨んだりしたこともこの二人はないようだ。
何か自分にとって嫌なことをされると、電光石火、即座に仕返しができる(笑)。
ゆえに、長時間他人に腹を立てていたり、恨んでいたりということがない。

『ムーミン谷の冬』でちびのミイがムーミンに向かってこう言う。
(「氷姫」の冷気に触れられて無知な若いリスが死んでしまい、
ムーミンがリスのお葬式をしようと主張している場面。)

ところが、ちびのミイは、そっけなく黒いリボンをつけるのをことわっていいました。

「あたい、もしかなしいとしたって、なにもそれを黒いリボンであらわす必要はないわ」

「きみがかなしんでいるんなら、それでいい。だけど、かなしんじゃいないんだからなあ」
とムーミントロールはいいました。

「そうよ。あたいにゃ、かなしむってことはできないの。あたいは、よろこぶか、おこるだけ。いったい、あたいがかなしんだら、それがりすさんにとってなにか役にたつの。たちゃしません。ところが、あたいが氷姫のことではらをたてたら、あたいはいつか、足にくいついてやりますからね。そうしたら、たぶんあの女だって、子りすがふさふさした毛をしていてかわいいからって、耳のうしろをくすぐるなんてことは、しないようになると思うわ」

榎木津礼二郎氏も「よろこぶか、おこるだけ」であって「かなしむ」ということは
(表立っては)ないような感じがする。彼はセンチメンタルになることがない。
喜ぶ時は、めちゃくちゃに喜ぶ。怒ることはそう多くはないが、まあたまに怒る。
あと「嫌悪の感情」を表すことも多くあるわけではないが、たまにはあるようだ。
「侮蔑・罵倒」の表現は、売るほど多彩に持ちあわせている(笑)。

ちなみに「ムーミン」の世界を京極堂シリーズの世界に重ね合わせるならば、
センチメンタルなムーミンは関口巽、破天荒なちびのミイが榎木津探偵、
木場刑事は意外とロマンチストで破滅型であるのでムーミンパパ、
そして古本屋にして神主にして憑き物落としの京極堂はスナフキンである。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-13 20:27 | 裏チーム入り乱れ
夜中である。歌当番である。
さて、体調も戻ってきたことであるし、そろそろあれを書こうかな。

超・おバカネタ「もしも、『京極堂』シリーズがミュージカルになったら」

ことの発端は、宿主が風邪を引いて寝込んだことにある。我ら裏チームの宿主・歌織は活字中毒なのだが、病気になったりむちゃくちゃなダイエットを敢行したりして体力が落ちると脳が活字を受け付けてくれなくなる。それで病人生活の間中、それまで読書に充てていた空き時間をずっと『オペラ座の怪人』と『キャッツ』のCDを聴いてしのいでいた。「本、読みたいなあ…」と自分の本棚をぼんやりと見つめながら。

いずれ劣らぬ活字中毒者の表当番や裏当番などに言わせると、「読みたいのに活字が読めない事態は結構辛い」のだそうだ。歌当番とて本は読むが、他の当番たちと違って音楽さえあれば楽しく暮らしていけるのでこの辺の感覚はよくわからない。

それで。「読めない」となるとかえって、食べ物で言うとこってり系でボリュームもたっぷりあるような本を渇望してしまうんだそうだ。分厚くって、ジューシーで、血の滴るような…京極堂シリーズとかを(笑)。熱にうるんだ宿主の瞳は、本棚に鎮座ましましてる京極堂シリーズをとらえた。耳につっこんだイヤホンからはオリジナル・ロンドンキャスト完全盤の『オペラ座の怪人』がエンドレスに流れ込んでくる。

「き、京極堂シリーズって…ゲホゴホ…もしかしてアンドリュー・ロイド・ウェバー(『オペラ座の怪人』及び『キャッツ』の作曲家)の音楽が似合うかも…どう思う、歌当番?」

榎木津礼二郎が“The Phantom of the Opera”を歌うのか?それは面白いかもしれないと歌当番は思った。彼は、嬉々としてファントム役をこなしてくれそうだよな。彼の声のイメージは、やっぱりテノールの美声だ。榎さんがファントム役の場合、クリスティーヌは関口君ということになるが…無理か、それは。ファントムに罵倒される歌姫がいていいもんだろうか(笑)。

そんなわけで、橋本治の『嘘つき映画館 シネマほらセット』風に行ってみよう。
歌当番監修『京極堂シリーズ・イン・ミュージカル』!

『オペラ座の怪人』を離れて「京極堂ミュージカル」とするならば榎木津礼二郎のテーマはは“ I am an Eye , I am the God(僕は探偵、僕は神)”といったところか。“Eye”にはprivate eye(私立探偵)と、榎さんの持つ「視力」を掛詞にしてある。『キャッツ』の「ラム・タム・タガーの歌」みたいなかっちょええヤツをアンドリュー・ロイド・ウェバーに作曲してほしい。この榎さんのテーマソングと全く同じメロディで、関口・和寅・鳥口・益田の通称「下僕カルテット」が歌うぼやき四重唱バージョン“He's a Demon, He's the King(彼は悪魔、彼は王)”もあり。

京極堂もテノールのイメージがある。でも、京極堂は歌よりセリフが多くなってしまうだろうな、やはり。それとも、あの長広舌をそのまま歌にしたミュージカルナンバーを開発するべきか?彼が歌うナンバーのタイトルは“There’s Nothing Mysterious in This World(この世に不思議なことはなにもない)”で決まりね。

バランス上、木場修には低音を担当してほしいんだが、彼は既に作中で「いかつい外見に似合わず甲高い声」と言及されているのでやっぱりテノール。おいおい、メインキャラクターにテノールが三人かよ。「三大テノール夢の競演」(笑)?『ミュージカル・魍魎の匣』ではヒロイン柚木陽子とのデュエットもある。“What's that in the Box(匣の中には何がある)”がそれ。猫目洞のお潤さんとの掛け合いデュエットや、監察医の里村との掛け合いデュエットなど、異様にデュエットナンバーが多いのが彼の特徴。

鬱病の小説家・関口巽。時々見事なファルセット(裏声)を発するが、通常は声質不安定な(これまた)テノール。持ち歌は全てただ一曲のバリエーション。関口君のメインテーマは“It’s My Fault, All is My Fault(僕が悪い。皆僕が悪い)”。これの様々な変奏曲がミュージカル全体を彩ります(?)。

脇役陣。敦っちゃんは冷静なので、全体の語り手として活躍してくれそうだ。メゾソプラノ。コミックリリーフとして鳥口守彦青年。“Uh-oh Song(うへえの歌)”で笑いを取るテノール。待古庵といさま屋さん、多々良先生はバリトン。

『オペラ座の怪人』のあの序曲の雰囲気って、京極堂シリーズに似合うと歌当番は思う。シリーズ中、最も『オペラ座の怪人』序曲が似合いそうな作品は『鉄鼠の檻』だと思うなあ。ミュージカルにした時に最も映えるのも『鉄鼠の檻』だと思う。冬で、雪が降っていて、箱根の山奥の禅寺で殺人事件だぞ。加害者も被害者も坊さんだらけだぞ。重厚な大伽藍セットで、怪人の代わりに振袖娘が出没して歌う。内部は坊さんだらけだから、コーラス要員には事欠かないぞ。最後は炎上シーンもあって、スペクタクルだ。シャンデリアを落とす代わりに、梵鐘がゴーンと落っこちてくるというのはどうだろう。

クライマックスは勿論、黒装束の古本屋の登場シーンだ。『オペラ座の怪人』序曲のあの絢爛たるパイプオルガンの旋律に乗って彼が最終対決の場面に出てくると、墨染めの衣の禅僧たちがどよめいてコーラスする。

He's there---, the Phantom of the お寺~

…要するにこれを言いたかったんかいっ(^^;)☆\(--;)!
『鉄鼠の檻』ミュージカルバージョン『禅寺の怪人』。
♪ザ・ファ~~~ントム オブ・ジ・お寺・イズ・ゼア~~~~ 
インサ~イド・マイ・マ~インド♪

炎上する禅寺の中、幻のように振袖娘の歌が聴こえる。
本当の「ファントム オブ ジ お寺」は京極堂ではなくて「彼女」なんだけどね(笑)。

釈迦殿教えを間違えて
数千(ちぢ)の仏が湧いたとな
数千の仏が―

『オペラ座の怪人』以外に『キャッツ』もアンドリュー・ロイド・ウェバーの作品なんだけど。風邪で朦朧としていた頭で『キャッツ』オリジナル・ロンドンキャスト完全盤のCDを聴いていたら「これを禅寺のお坊さんたちに置き換えたら面白いかもしれない」と思えてきた。これは、『鉄鼠の檻』とは全く関係がない。ただ、お坊さんの群像ミュージカルとして『キャッツ』のメロディを使ってみたら面白いなあと思っただけ。

ミュージカル『ぼーず』(笑)。墨染めの衣をひるがえし、ツルツル頭をきらめかせて数十人の禅僧が歌い踊る!

年に一度、ある夏の夜に(仏教系であるから、盂蘭盆会の晩ということにしておこう)とある禅寺の庭に全国から選び抜かれた禅僧が集まってくる。坊さんたちにとって、年に一度の「禅リクル(ジェリクル)・ナイト」である。それぞれの個性を持つジェリクル・ボーズ(笑)たちが自らの芸(?)を競い、そして夜明け前に長老がその中の一人を指名する。指名された僧はジェリクル・ボーズの中でただ一人、今の人生から生まれ変わってヘヴィサイド・レイヤー(天上の国)で永遠の命を得ることができるのである。

これ、お坊さんを猫に変えるとそのまま原作『キャッツ』のあらすじである。ジェリクル・キャット(全ての猫らしく生きる猫)たちの夢はジェリクル・ナイトに長老のデュータロノミー翁に「最もジェリクルな猫」として指名され、へヴィサイド・レイヤー(Heaviside Layerとつづる。原作者T.S.エリオットの造語だろうか。Heavi-はHeaven、つまり天国だからHeavisideは「天国サイドの」という意味だろう。Layerは「層」という意味だからへヴィサイドレイヤーは「天上界」といったところだろうか)に行き生まれ変わることなのだ。

その「たった一匹の猫」目指して芸達者な猫たちがそれぞれの歌や踊りを披露する。ガンビー・キャット(おばさん猫)のジェニエニドッツ。わがまま気ままな猫ラム・タム・タガー。グルメ猫バストファー・ジョーンズ。泥棒猫の夫婦マンゴジェリーとランプルティーザー。役者猫のアスパラガスは劇中劇「グロウルタイガー最後の死闘」を演じる。鉄道猫スキンブルシャンクス。不思議な怪盗猫マキャヴィティ。マジシャン猫ミスター・ミストフェリーズ。それぞれに多彩な猫たちだが、最後に一匹、新しい生命を得る猫に選ばれたのは―かつては美貌の娼婦であり、今は落ちぶれてぼろぼろになってしまったグラマー猫、グリザベラだった。彼女は有名なナンバー「メモリー」を歌いながら猫たちに見送られヘヴィサイド・レイヤーへと昇っていく。

この『キャッツ』が全員猫ではなくてお坊さんだったとしても、充分面白いミュージカルになるだろうと思う。どの猫も、お坊さんの中にいそうな感じだもの。お節介なお寺の料理番ガンビー・坊主。へそまがり坊主ラム・タム・タガー。元泥棒だったんだがなぜかお坊さんになってしまった二人組マンゴジェリーとランプルティーザー。元役者の僧アスパラガスが演じる劇中劇は、同じ僧である武蔵坊弁慶の「立ち往生」の場面をやってもらうことにしよう。

元鉄道マニアの青年がなぜか出家して坊さんになってしまったスキンブルシャンクス、お経のつもりがなぜか電車のアナウンスになってしまうというコミックナンバーを歌ってもらう。ミストフェリーズ氏は「神通力禅僧・ミストフェリーズ」で決まりだな。グリザベラは元お稚児さんだが、今は年を取って往年の美貌を失ってしまっているという設定。

最後に一人、天上界へと生まれ変われるのが長年修行をして徳を積んだベテラン禅僧ではなく、トウの立った元お稚児さんだというところが皮肉だ。墨染めの衣の禅僧たちの中でぼろぼろになった極彩色の晴れ着と長髪のヘアスタイルが異彩を放っていたグリザベラ、「メモリー」の絶唱の中でまばゆい白の僧衣と剃りたてのツルツル頭という神々しい姿に変身し、光と禅僧たちの読経に包まれて昇天していく。

『キャッツ』のあのプロローグの歌を、僧衣の袖をひるがえして禅僧たちが歌い踊っていたら不気味で面白いだろうなあ。

♪プラクティカル・ボーズ、ドラマティカル・ボーズ
♪プラグマティカル・ボーズ、ファナティカル・ボーズ
♪オラトリカル・ボーズ、デルフィコラクル・ボーズ
♪スケプティカル・ボーズ、ディセプティカル・ボーズ

♪ロマンティカル・ボーズ、ペダンティカル・ボーズ
♪クリティカル・ボーズ、パラシティカル・ボーズ
♪アレゴリカル・ボーズ、メタフォリカル・ボーズ
♪スタティスティカル・ボーズ、アンド、ミスティカル・ボーズ
♪ポリティカル・ボーズ、ヒポクリティカル・ボーズ
♪クレリカル・ボーズ、ヒステリカル・ボーズ
♪シニカル・ボーズ、ラビニカル・ボーズ

♪ジェリクル・ソング・フォー・ジェリクル・ボーズ!
♪ジェリクル・ソング・フォー・ジェリクル・ボーズ!

「ジェリクル・ボール(舞踏会)へようこそ」というナンバーもある。「ジェリクル・坊主へようこそ」ってのはどうだ。

♪ジェリクル・坊主は白と黒
♪ジェリクル・坊主は程よいサイズ
♪ジェリクル・坊主は跳ね回る
♪まるでジャンピング・ジャックみたいに
♪ジェリクル・坊主は月明かりに輝く目をしている

♪ジェリクル・坊主は年一度集まる
♪皆で祝うジェリクル・ボールに
♪ジェリクル・リーダーがじきに現れ
♪恒例の「ジェリクル・チョイス」を行う
♪夜明けの前
♪ナイフで切り分けられそうな沈黙の中で
♪デュータロノミー翁が宣言する
♪ただ一匹、生まれ変わって
♪新しいいのちに戻ることのできる僧を
♪それはジェリクルにしかわからない。
♪驚きに満ちた天上界へ昇れる存在は
♪ジェリクル坊主はみな息を潜めて待つ
♪一体誰がそれになるのか…一体、誰が…

歌い踊る坊さんを思い浮かべつつ『キャッツ オリジナルロンドンキャスト完全盤』を聴くのもオツなものです。このCDでは、『オペラ座の怪人 オリジナルロンドンキャスト』でクリスティーヌを歌ったSarah BrightmanもJemimaという猫の役で出演。一曲丸々歌いきる役ではないのだけど、ところどころで彼女の声が聴けます(キャッツはオペラ座の怪人よりかなり前に作られたミュージカル。Sarah Brightmanも若かったと思われる)。ヒロインであるGrizabellaを歌っているのはElaine Paigeという人。

おバカとぼーず満載のうそつきミュージカルネタ、これにておしまい。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-12 03:32 | 歌当番記す

ブログにしてみた

『星見当番の裏テント』にもともとあった日記を外して、ブログに変えてみた。もともと、表テントがブログ形式なので、裏テント日記は別にブログでなくてもいいかな~と思っていたんだけど。

結局、ブログを日記として使ったほうが画像を載せ易いことがわかったので(笑)。とりあえず、エキサイトブログに旧裏テント日記で書いたものをせっせとコピペ。裏テントのトップページ自体は変わりません。そのうちまた別のブログに引っ越すかもなあ。

エキサイトの方から辿ってくるお客様が居た場合のことを考えて自己紹介。

歌織@星見当番の名で、占い系のブログを持っている者です。メインの方のブログへはここからも行けます。サイト名を『星見当番の三角テント』と言います。別サイトとして『星見当番の裏テント』というのもありまして、当ブログはその『裏テント』の日記ページです。

『裏テント』は「裏当番」が仕切っています。『星見当番の三角テント』の管理人である「歌織@星見当番」はこの裏テントでは「表当番」と呼ばれたりします。裏当番の下には「裏チーム」と呼ばれる各種当番がいます。針仕事担当の「お針当番」、料理担当の「食事当番」、園芸担当の「お庭番」、音楽系担当の「歌当番」などです。表当番と裏当番、裏チームの各種当番たちは皆で一つの体、一人分の時間を共有しつつ、交代で活動したり日記を書いたりしています。「いっこく堂」並みの「一人で多声(おおぜい)日記」といったところでしょうか(笑)。

裏テント及び裏テント日記では、基本的に占い系の話題を取り扱いません。占いをするのは表テント及び表の「歌織@星見当番」のみ。また、表テントと裏テントでの話題は「混ぜるな危険」を基本としております。

混ざり合わないけれど、リンクはしているというのが表テントと裏テント。ここは、アマチュアへぼ占い師が構えた占いテントの、そのまた裏庭に当たります。表にゃ出せないおバカネタ満載で参ります。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-11 00:04 | 裏当番記す

歌うウイルス

【裏当番・記す】

宿主が風邪をこじらせ、表当番はおろか裏チームのメンバー全員が揃って寝込んでいる。全員でひとつの体を共有しているのだから当たり前と言えば当たり前の話。

唯一しぶといのは歌当番で、頭の中でとぎれとぎれに歌い続けている。宿主の喉が風邪でつぶれても、歌当番は物理的な喉を持たないからな(笑)。脳さえしっかり機能していれば歌唱に問題なしというところが凄いとこである。

かくして病める星見当番の枕辺に、今日も歌当番の歌が響き渡る。

国敗れて唱歌あり 城春にして草木深し(笑)

しかしどうだ、熱のせいで宿主のオツムが壊れ気味になってきた。おかげで歌当番の歌もだんだんおかしくなってきたぞ。断片化しているし…内容は支離滅裂だし…それでも美声を(?)保ってるところが恐ろしいというものだ。物理的な喉を持たないというのはやっぱり強みなのだな。

…風邪をこじらせているはずなのに何故早寝をしない?ごもっともである。しかし仕事を休んで昼間の9時から夜18時まで眠り続けたせいで目が冴えて眠れないのである(爆)。しかたないので歌当番に日記を続けてもらうことにする。


【歌当番のファントム談義・裏テント篇】

久々登場の歌当番。他の当番に倣ってプロフィールを書いておこう。

歌当番は裏テントでの呼称。表テントでは「音楽の小人」として知られている。裏チームのほかのメンバーの活動範囲が裏テント限定なのに対し、歌当番だけは表テントにも裏テントにもフリーパスの特異な存在である。

住まいは宿主の脳内及び耳の中。「小人ではなくウイルス」という説もある。基本的に耳にした音楽はモーツァルトからCMソングまで何でも歌う。

脳内フルオーケストレーション機能付き。得意技は「ループ歌」及び「替え歌」。愛読書は茂木大輔の『オーケストラ楽器別人間学』及び森雅裕の『モーツァルトは子守唄を歌わない』らしい。

(註:『モーツァルトは子守唄を歌わない』は講談社より出ていたがハードカヴァーは現在絶版中。講談社文庫でなら、今でも手に入るかもしれない。ユーモア音楽ミステリの傑作。モーツァルトの死から18年後、その死の謎をなんとベートーヴェンが探偵役になって!まだ若かったツェルニーや少年だったシューベルトと共に!解き明かしていくという物語。映画『アマデウス』と並行読書するとたまらなく面白いのである。同じ「探偵ベートーヴェンもの」で『ベートーヴェンな憂鬱症』という短編集も出ている。同じ作者の『椿姫を見ませんか?』も傑作)

あ、さて。歌当番による「裏テント版・ファントム談義」本編です…

“The ca---ndle of the Opera is there---,inside my mind♪”

この前ふと歌いまつがえたのが楽しくて、ループ歌にして何度も流してやったら、裏当番がついにキレて「『言いまつがい』投稿の刑」に処されてしまった。

「これが採用されたらお前(=歌当番)の勝ち、採用されなかったら私(=裏当番)の勝ち」だって。

「私が勝ったら、以後二度とそのふざけた歌を歌うなよ」と裏当番。ほほ~、そうか。じゃあ私が勝ったら歌いまくっていいんだな?いいんだな??

先週、念願の『オペラ座の怪人』映画版を見に行った。事前にオリジナルロンドンキャスト版のCDを聴きこみ、ついていたリーフレットで台本もくまなくチェックしていたので、舞台は一度も観ていなくても脳内にはしっかりと「空想の『オペラ座の怪人』」の映像が出来上がっている。その状態で行って、「ほぼイメージ通り・ある部分ではイメージ以上」のものを見られたのだから、やっぱりあの映画は凄い。アンドリュー・ロイド・ウェバー自身が製作に関わっただけのことはある。

それでもやはり、歌当番的にはいくつか物足りない部分があったりして…(^^;)。裏テントのファントム談義はその「物足りなさ談義」及び表じゃ書けない「脱線話」(笑)。

まず、「シャンデリアが落ちるタイミング」が舞台版と映画では違うのが不満。

舞台版では、第一幕の最後で落ちる。例の劇中劇“Il Muto”でカルロッタの声が出なくなり、
その時嘲笑するようにファントムの声が響く

“Behold!She is singing to bring down the chandelier!”
(見ろ!彼女はシャンデリアを落とすために歌ってる!!)

ぐらぐら揺れるシャンデリア。しかしまだシャンデリアは落ちない。

事態を収拾するためにアンドレ(支配人)は急遽演目を一部変更し、ダンサーにバレエを演じさせる。そこに落ちてくるのが大道具と舞台装置担当のジョゼフ・ブケーの死体。

オペラ座大パニック。クリスティーヌとラウルはオペラ座の屋根に逃げる。そこで歌われるのが“All I ask of You”。愛を確かめ合うクリスティーヌとラウル。その陰で嫉妬に打ちひしがれるファントム。

クリスティーヌはカルロッタの代りに伯爵夫人のパートを務めるために舞台へ戻っていく。そして、嫉妬に身を焼かれるファントムによって、シャンデリアは落とされるのだ。カーテンコールに出てきたクリスティーヌの足元に。シャンデリアが砕ける音と共に第一幕は終わる。

映画版では、最後の劇中劇“Don Juan Triumphant”のクライマックスでクリスティーヌがファントムの仮面を剥ぎ取ってからやっとシャンデリアが落ちる。おかげで、舞台版にあったシャンデリア関係のセリフの大半がばっさりカットされた。

“Il Muto”の場面でファントムが嘲笑する「見ろ!あの声でシャンデリアが落ちるぞ~!」は勿論カット。それから、第二幕冒頭の“Masquerade”の場面では、実はシャンデリア関係の歌詞が3つもあった筈なんだ。実はあの仮面舞踏会は「新年のパーティ」であると同時に「新しいシャンデリア披露祝い」でもあって。なので歌の中で支配人のアンドレとフィルマンが
“Here's a toast to a prosperous year!(繁栄すべき新年に乾杯!)”“To the new chandelier!(新しいシャンデリアに乾杯!)”と歌う場面があったんである。

そして、その後登場したファントムもこう脅迫する。

「私の指示に従うことだな。覚えておくがいい、壊れたシャンデリア以上に悪いことがこの世にはあるとな…」

震え上がったオペラ座のメンバー達。支配人アンドレとフィルマンは「馬鹿げている!」といいながらも

“But we dare'nt refuse(しかし拒むなんてことはできない)”
“Not another chandelier(もう代りのシャンデリアもないし)”

と歌って、結局ファントムの要求を呑むことになる。勿論、ここも映画ではカット。その後に続く主要キャスト8名による多重唱もカット。(アンドレ・フィルマン・ラウル・ジリイ夫人・ピアンジ・カルロッタ・クリスティーヌとファントム)

これ、なんで元のシナリオ通りに第一幕のラストでシャンデリアを落とせなかったのかなあ。確かに、舞台版と同じタイミングで落とすと、後の仮面舞踏会の場面が映画版より長くなる。単なる時間制限の問題だったんだろうか。

映画を観ていて、「ここで落ちるぞ」と思っていた箇所でシャンデリアが落ちなかった時、「え?じゃあいつ落とすつもりなの?その前後の辻褄をどう合わせるの?」と思ってしまった。しかし、仮面舞踏会の場面はそれでも上手に辻褄を合わせてあった。シャンデリア関係の歌詞はきちんと歌に組み込まれているのに、それをカットしてもちゃんと曲として成立するように編曲してあったのはさすがだ。アンドリュー・ロイド・ウェバー自身がちゃんとその辺はアレンジしたんだろうな。

その編曲と演出の腕前には舌を巻くけど…やっぱり台本どおりのを見たかったなあ(泣)。時折挿入されるモノクロの「爺さんラウル」の場面を全部カットすれば、その分の時間で「仮面舞踏会」の場面をフルで入れられたんじゃなかろうか。ファントムがシャンデリアのことを口にする二つの台詞も、ね。

その他、映画版ファントム雑感。

劇中劇“Il Muto”の上演中にカルロッタの声がヒキガエル声になっちゃった場面。「なぜ突然ヒキガエル声になっちゃったか」その原因の説明画面が映画にありましたが。要するにカルロッタ愛用の「喉シュッシュスプレー」の中身をファントムが入れ替えたのね。

歌当番、「あれは別に説明してくれなくてもいいんじゃないかなあ」と思った。CD聴きながら「あれはファントムの呪いだ」と単純に解釈していた歌当番(笑)。

それから、クリスティーヌが亡父の墓参りに行く場面。

映画ではファントムが御者を殴り倒し、自分が御者としてクリスティーヌの乗る馬車に乗り、一緒に墓地へと向かってた。それでファントム、彼女の父親の墓からクリスティーヌへと歌いかけるなんて芸当ができたわけ、なんだけど。

ここも、映画観ながら「ちょっと説明的過ぎなんじゃ…」と思っていた歌当番。

いや、わかるけど。わかりやすくていいなとは思うんだけど。でも私の中ではファントムはあまりに長く地下で暮らしすぎて半分妖怪化しているヒト(笑)なので、そういう人間臭いトリックではなくてもっとこう、超人的なことができても不思議じゃない奴であって。

カルロッタにただ「ヒキガエルはお前だ」と暗示をかけるだけで声を出なくさせたり、何の説明もなしに墓場に忽然と現れたり(CD聴いてる限りでは本当に忽然という感じに登場)。そういうことができてもおかしくない存在だと思ってたので(笑)。

ちなみに台本によると、舞台版のラストではファントムはマントで身を包み忽然と消滅する。映画版のファントムは「棲家にある、鏡の裏の通路」を通って「歩いて」退場してた(笑)。

映画のファントムって、やっぱり妖怪じゃなくて人間なんだなあ(爆)。

歌当番は、どうやら台本を読む限り舞台版の演出の方が好きみたいだ。人間は天使にはなりきれないけど、妖怪になっちゃうことはある(おっ、至言)。映画でも、ファントムの妖怪ぶりをもっと観たかったなあと思う。

もっとも、映画でファントムを演じたジェラルド・バトラーは素敵だ。いい体してるなあ…あの胸板の厚み。肺活量ありそうだ(笑)。そしてきっとよく共鳴することだろう。「楽器」としての「いい体」(笑)。あの声を響かせるのには、それなりの体が要るんだよね。彼が歌ってる時に、そっと胸か背中(できれば背中)に触らせてほしいくらいだ(爆)。きっと彼の体中がびりびりと共鳴しているだろう。

“The point of no return”の場面では、クリスティーヌがファントムに背中から抱かれつつ歌う。あの時、クリスティーヌ役のエミー・ロッサムはきっと感じただろう。ジェラルド・バトラーの胸板が彼の声に共鳴して起こる震えを、彼女の背中越しに。「…そ、それはうらやましい…っ!」とつい思ってしまう歌当番である。

ちなみに、ジェラルド・バトラーのファントムはかっこいいとは思うんだけど。でもちょっと、彼は顔だちにおサルが入っているよなあとも思ってしまう(爆)。それと、髪型が少し…あのもみあげはどうにかならんかのう(笑)。あれを見ると映画『マーヴェリック』のメル・ギブソンを思い出してしまうんだけど。(マーヴェリックのメル・ギブソンもちょっとおサル入った顔してたよね)。

あの、どことなくおサルを思わせる…どこがだろう、口元とか?を見てると「あ、だからファントム、おサルがそんなに好きなのか」とアホなことをつい(爆)。

うらやましい、と言えば。

変な話だけど私は、ファントムが歌うのを聴くとうらやましくなってしまうんである。この場合のファントムは、映画版ではなくてオリジナルロンドンキャストのファントム。マイケル・クロフォードによるファントムの方。あまりに美声でセクシーで、聴いているとドキドキしてしまうんだけど。それと同時に心の底から「くそ~っ!うらやましいっ!」そんな思いがこみあげてきてしまう。

クリスティーヌがうらやましいというんじゃない。
ファントムの声に嫉妬してしまうのである。なぜなんだか。

「くそ~っ!私、逆立ちしてもこんないい声出せないよっ!きいっ!羨ましい!」

…そう思ってしまうんだ、なぜか。
逆立ちしても出ないのは道理、私は女なのだから、男性の声を出すのは物理的に無理。それにも関わらず、男性歌手による圧倒的な美声を聴いたとき、私は強烈に羨ましくなるのだ。女性歌手の美声を聴いた場合よりも、もっと強烈な嫉妬。そもそも、女性歌手が歌うのだって「こんないい声出せない」であるはずなんだが…なぜか、サラ・ブライトマンのクリスティーヌ(これも美声)を聴いても嫉妬はしない。

なんでなんだろう。謎だ。でも、羨ましいんである。あの声を出せるというのが。私は、男に生まれたいと思ったことは一度もない。男ができて女にできないことを、羨ましいと思ったこともこれまではなかった。でも、声!あの声を聴くと、男である(男の体を持つ)ことが羨ましいと思う。女には出せない声を出せることが心底羨ましいと思う。

くそ~、男に生まれるなら、あんな声の男になりたいよなっ!
ノーベル賞学者でなくてもいい、特別腕っ節が強くなくてもいい、
絶世の美男子でなくても、オリンピック選手でなくてもいい。
男に生まれるなら、絶世の美声の持ち主に生まれてみたい…

…などと、変なことを思う歌当番である(笑)。一応、これは彼を褒めているつもりなんだけど。…愛情表現としてひねくれすぎだろうか(笑)?聴くと嫉妬しちゃうくらいその声が好きだとか、その声が出せない自分が悔しいと思うくらい好きだっていうのは。

男性歌手が歌うのを聴いて、そんなことを思う女子は他にいるんだろうか。或いは女性歌手が歌うのを聴いて「こんな声が出せない自分が悔しい」と思う男子はいるんだろうか。これは表テントには書けない話だなあと思うので、裏テントに書くことにした。

要するに、私が男性を評価する時に最も重要視するのが「声」であるってだけのことかもしれないけれど。「声」と「しゃべり方」。これ最重要。私がこれまで好きになった男性俳優はコレ全て、美声がポイントであったりする…。

さて、本当はファントム関連でおバカなネタがもう一件ほどあったのだけど、夜が遅いのでさすがに寝ることにする。元気になったら、また書くことにしよう。

次回は「超おバカ妄想篇:ファントムと京極堂の世界が一緒になったら」をお送りします(笑)。
[PR]
by ura_hoshimi | 2005-02-03 23:12 | 裏チーム入り乱れ