某所で新月予報を出している「星見当番」の裏日記。裏当番&裏テントチームが執筆を担当


by ura_hoshimi

やっとのことでDCK話

【久しぶりにお針当番記す】

書く書くと言っておいて随分と時間が経ってしまった。
体調が回復しても、つい裏テントは後回しにしてしまう。

到着が遅れて心配していたドールは無事に届きました。
画像以上の美人さんで見るたび蕩けそうになります。
着てきた服がスットコドッコイなデザインなので、
何か似合う服を縫ってやってから写真を撮るつもり。

(髪色がパステル系なので、手持ちの服に似合いそうなのがなくて。)

さて、書こうとしていてずっと書けなかったDCKの話。
(井嶋ナギ著・『色っぽいキモノ』のサブタイトルが
Dress Coquettish Kimonoなので、お針当番は縮めて
DCKと呼んでます)

今日は、DCKの中からお針当番がピクっと反応した箇所を
いくつか並べてみようかと(色文字部分は引用)。

第一章「下着で色気を表現せよ」では、まずのっけから

かつてこんなことを言われた(もしくは言った)
ことはありませんか?
「着物の時って、下着はつけないんだってね?」
下はつけております!
上はつけておりません!

(『色っぽいキモノ』 9ページより)


…単純明快。第一章は、着物姿の時の下着の話。

小見出しその1が「肝の据わった女は、蹴出しで勇ましく誘惑」。
着物の時に下半身に着ける下着といったら、腰巻・湯文字。
元禄年間(1688~1704 第五代将軍・綱吉の時代ですな)の
遊女たちは真っ赤な縮緬で湯文字を仕立てて、それを着物の裾から
思いっきり覗かせて色気を振りまいていた、という話からDCKは始まります。

小見出しその2は「はんなりな裾よけ、ヤンキーな蹴出し」。
元禄年間の遊女がチラ見せしていたのは「赤い湯文字」ですが
その後、湯文字は下着として下半身を保護するものと、
その上から装飾的に巻くものとに分化。江戸時代後期の文化年間
(1804~1818 第十一代将軍・家斉の時代)に、湯文字の上から
装飾的に巻くものが誕生、「裾よけ」あるいは「蹴出し」と呼ばれるように。

「裾よけ」という関西独特のはんなりと上品な風情に対して、
江戸ときたら「蹴って」「出す」。勇ましいというか、
雑というか、当時の江戸娘の伝法ぶりを表して
かなり秀逸なネーミング。女らしくしとやかに振舞おう、
なんていじらしさとは無縁の「邪魔くさいから蹴ってるだけ。
文句あんの?」なヤンキー根性が漂います。
現在では「裾よけ」という呼び方が全国的に普及していますが、
「どっちかというと私はヤンキー派だな……」という方は、
さっそく今日から「蹴出し」と呼んでみてはいかがでしょうか。
(ちなみに、私は「蹴出し」と呼ぶつもりです。)

(『色っぽいキモノ』11ページより)


へぇ!お針当番、今の今まで「裾よけ」と「蹴出し」が同じものだとは
浅学にして知らなかった。「蹴出し」というのは昔の真っ赤な色の、
一番肌に近い所に着けるもののことで、「裾よけ」っていうのは
その上に着けるもののことだと思っておりやんした。
関西では「裾よけ」で、関東だと「蹴出し」だったのか!

しかし記憶を探ると…あれおかしいな。
私が「蹴出し」という言葉に最初に出くわしたのは
田辺聖子のエッセイ中で、「カモカのおっちゃん」が
金色夜叉について言及した箇所だったんだけどな。

お聖さんが、寛一がお宮を足蹴にした直後、倒れたお宮に
「や、怪我をしたか」と駆け寄る場面を挙げて「だから寛一は
本当は優しいのだ」とか何か言ったら、カモカのおっちゃんが
「いや、お宮が転んだ拍子に裾が乱れて蹴出しの赤いのが
ちらっと見えたので思わず駆け寄っただけや」とのたまうという…

お聖さんも「カモカのおっちゃん」も関西の人、だよね??
もっとも、お針当番がこのエッセイを読んだのは中学生の頃で
いまは手元にこの本がないもんで、もしかしたらお針当番の
記憶違いかもしれない。

なおお針当番は関東生まれの関東育ちではあるけれど、
ヤンキー根性に欠けるので「蹴出し」と呼ぶのは遠慮しときます。
かといってお針当番、お嬢さん系だったりはんなり系だったり
するわけでもなくて。しいて言うなら関東の田舎でとれた(野菜か)、
森茉莉言うところの「埼玉県のもよ※」系と言えば言えようか。

(できればせめて「もよ」ではなく「やよ」くらいにはなりたいのだけど、
どう転んでもお針当番は女中系であることは間違いない。)

※「埼玉県のもよ」というのは森茉莉のどの作品に出てきたか忘れたが
(こういうことを書くのは『ドッキリチャンネル』か『マリアの気紛れ書き』だろう)
森茉莉語録の中でも秀逸な、愛すべき悪口のひとつ。

森茉莉の幼少時代、新しい女中が奉公に来ると、初お目見えの時に
奥様の前で手を突いて「埼玉県のもよでございます」とか
「葛飾のちよでございます」と挨拶したということから、要するに
山だしの女中みたいな垢抜けない、気の利かない、あるいは
教育のなさそうな女性のことをひっくるめて言う。
(埼玉県在住の方、ごめんなさい。なおお針当番は、
よちよち歩きから幼稚園の年少組時代まで埼玉県在住でした。)

もっとも、森茉莉は文中で誰かのことを「垢抜けない女中みたい」と
言った訳ではなく、「彼女は『埼玉県のもよ』ではなかったということだ」と
誰かを褒めて言うのに使い(誰だか忘れたけど)、その後で
「埼玉県のもよ」とはどういうものかというのを例によって事細かに
説明しています。なお「やよ」とは森茉莉の『甘い蜜の部屋』に登場する
忠実で誠実な女中の名。「埼玉県のもよ」よりは描かれ方がやや好意的。
以上脱線終わり※

大幅に脱線した話をDCKに戻して。
「裾よけ」「蹴出し」という呼び名の違いから、話題は吉原の花魁へ。
享保年間(1716~1736 第八代将軍・吉宗の時代)の吉原で、
花魁道中の真っ最中に、緩んだ腰巻が裾からズリ落ちてきて
ついにはポトリと落っことしてしまった花魁がいたといいます。

ところがこの花魁、慌てず騒がず着ていた豪華な打ち掛けを
腰巻の上にさらりと落とし、そのまま悠々と道中を続けたのだそうです。
さらには、ご迷惑をかけたお詫びにと、その事件現場前の茶屋に、
3枚重ねの豪華な打ち掛けをプレゼントしたのでした。
しかも、落とした腰巻を包んだまま…

(『色っぽいキモノ』13ページより)


…かっこええ(笑)。
と、ここまで読んでふと思ったのはうちの娘どものこと。
うちの娘どもは身長約27cm。とても小さいので、
着物を作って着せるといっても、本物の人間が着ているのと
同じようにはできない箇所も多いです。

たとえば、着物から覗く長襦袢の「ふり」の部分は見せかけで
表着の袖の中に「輪」にした長いふり布をくっつけてあるだけ。
着膨れを避けるために、長襦袢も半襦袢も着せてません。
半襟を首周りに巻いて固定し、上から表着を着せているだけ。
勿論、凝る人の場合は、ちゃんと長襦袢から何から作って、
重ね着させている人もいるわけですが、お針当番は手抜き方式です。

そして…うちの娘たちの場合、一番下に着けるものも
洋服を着せている時と同じレースのショーツだけです。
裾よけ、省略しちゃってます。作った方がいいんだろうけどなあ…
昔は勿論、腰に何も巻かないで着物を着るなんてありえないし
現代だって、たとえ洋服の下着の上から巻くにしても裾よけは必須で、
「巻かずに着物を着る」なんてことはまずありえない事態だし。

そんなわけで、うちのお嬢さんたちは

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こんな格好のときも…

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こんな格好のときも…

下に何も巻いてないんですねえ。
勿論、この時だって…。

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「巻いてませんが何か?」

(これは上半身しか写っていないけれど、
同じポーズで全身写っているのを見ると
巻いているべきものを巻いていないこと歴然である)

ところで、そもそも何で花魁の腰巻が落っこちたのかというと
(これもDCKに書いてあったのを読んで初めて知ったことなのですが)
遊女の腰巻はカタギの女性が使うものと違って「紐がついていない」
からなんだそうです。ただの四角い布を、お風呂上りにバスタオルを
巻くような感じで、ただ腰に巻いて端っこを挟み込んでいるだけだから、
落っこちやすいんですね。

なんでまた、遊女の腰巻には紐がないか。
遊里には、どんな男が来るかわからない。中にはアブナイ人もいる。
紐を使って、体に傷がつくような乱暴をされたりするかもしれないし、
中には紐をつかって心中を図る遊女と客だっているかもしれない。
そういうことを防止するために、遊女の下着には湯文字にも蹴出しにも
紐がついていない、ということなんですが。

じゃあその上に襦袢や着物を着るときの腰紐はいいのかい?って
言いたくなるんですが、それはさておいて。DCKでは、ここから先
お針当番が思わず笑い出して購入を決めたくだりが来るのです。
泉鏡花が、師匠(尾崎紅葉)に内緒で神楽坂の芸者上がりの女性と
所帯を持とうとした時のエピソードです。

(以下、『色っぽいキモノ』より引用、一部、お針当番により伏字)

しかし、同じく神楽坂の芸者を愛人にしていた紅葉には、
そんな情報は筒抜け。(ここでお針当番は思う。
自分も芸者を愛人にしておいて、なんだって弟子には
それを許さないと言うのか!)かくして紅葉は、抜き打ちで
鏡花の家を訪ねてきます。あわてた鏡花は、**を家の外に逃がし
(**には奥さんの本名が入るのですが、お針当番の都合により
ここでは伏字とします)、証拠品を隠しますが、
なんと物干し竿には女ものの腰巻きがヒラリ。

「あの腰巻きは誰のだ」

鏡花はとっさに女中の名前を口にします。
が、紅葉もだてに花柳界で遊んではいません。

「シロウトが紐のない腰巻きをするもんか!
あれは商売女の腰巻きに決まってるだろうが、バカ!」




……あっはっはっは。
そんなわけで師匠に一喝されて鏡花と**はいったん別れることに。
のちに鏡花はその時のエピソードを『婦系図』という作品に。
この作品中では鏡花は「早瀬主税」、**は「お蔦」という名に。
その『婦系図』を 舞台用に脚色したのが、『湯島の境内』で、

「切れるの分かれるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。
……私にゃ死ねと云って下さい」

…というお蔦の台詞で有名。

師匠・尾崎紅葉の死後、再び鏡花と一緒になったこの奥さん、
神楽坂で芸者をしていた時代の名前は「桃太郎」。
本名は「すず」さんと言います。

す ず さ ん !

…何でお針当番がこの本を買っていく気になったか、おわかりでしょう。
なお、うちのすずさんは泉鏡花の奥さんに因んで名づけたのでは
ありませんが。

(直接的には、元々着ていた衣装に鈴がついていたから。
間接的には京極夏彦の『鉄鼠の檻』に登場する、赤い振袖を着た
かぶろ髪の妖しい美少女の名前が「すず子」だったから、というのが
「すず」と名づけた理由です。他にも、その当時読んでいた小説で
鈴に因んだ名前が出てくるものが二冊ほどあるのだけれど、
主な理由は上に挙げた二つ)

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「別れろ切れろは芸者の時に云う台詞…」

…やめんかい。
(画像は以前アップしたものの使い回し)
「すず」はやっぱり魔性の名前。

これを読んで、「そう言えば、泉鏡花の奥さんについて
別の小説に書かれていたのを読んだことがあるわ」と思い出しました。
それは久世光彦の『蕭々館日録』。確かこの中で、奥さんの名前が
「すず」ということも、そのすずさんの可愛いエピソードについても
書かれていた筈。これは早速読み直さなくては。

泉鏡花の『婦系図』にも俄然興味が湧いたので、
『色っぽいキモノ』を買ったのと同じ丸善で、新潮文庫の
『婦系図』も買ってきて読みました。実は、これが初鏡花。
読んでみたら、これが滅法界に面白い。

ちょうどその頃、谷崎潤一郎の『細雪』を試しに読んでいるところ
だったのだけど、こっちは全くお針当番の好みに合わず。
『細雪』は全三巻あるのがちっとも読み終わらなかったのに
『婦系図』はあっという間に読了。何これ、面白い!
筋は荒唐無稽だけれど、女性陣が可愛くて男性陣は情けなくて、
まるで昔の日本を舞台にした『フィガロの結婚』みたいだわ。

(『細雪』は本当に、ホンットーに好みに合わなかった。
四人姉妹の次女と三女がクニャクニャクニャクニャしていて、
自分じゃ何も決められない癖に、人の決定にはグチグチグチグチ
ずーっと文句垂れてるの。特に次女がひどい。

こんなのが昔の日本の、いいとこのお嬢さん又は奥さんだって
言うのなら、お針当番は「埼玉県のもよ」でいる方がよっぽどいい。
上・中・下と三巻あるうちの中巻を半分くらいまで読み進んで
やっと、なぜ自分が細雪の世界を嫌いなのかがわかった。

細雪っていうのは要するに、昔の関西のお金持ちが演じる
「渡鬼」なんだ。あれも、五人の娘たちとその周辺人物が、
身の回りで起こることについて、のべつ文句垂れてる話だよね。
そもそも「渡鬼」が嫌いなお針当番が、細雪を好きになれないのは
無理もないことだったんだ。)

『婦系図』からまた話が脱線しているけれど、この『婦系図』についてと
久世光彦の『蕭々館日録』にちらりと登場するすずさんのエピソードに
ついては、また日を改めて書くつもり。DCKで惹かれた箇所の話も
まだいくつか残っているけれど、かなり長く書いたと思うので
今回はこれにて一旦送信。
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by ura_hoshimi | 2006-11-25 19:20 | お針当番記す