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某所で新月予報を出している「星見当番」の裏日記。裏当番&裏テントチームが執筆を担当


by ura_hoshimi

スミレの宴(長編)

【その1.食事当番とお庭番とスミレの話】

春が遅い北関東でも、スミレの季節はすっかり終わってしまって
庭に植えてあるスウィートバイオレットも葉っぱばかりになった。
スウィートバイオレット(匂い菫)は高校時代にお庭番が
ガーデンセンターで苗を買ってきて庭植えにしたものである。
西洋でスミレ香水の原料にするもので、とても生命力が強い。
スミレの咲く季節になると食事当番が花を摘んで蜜を吸ったり、
砂糖漬けを作って遊んだりする。

中学高校の頃、お庭番はスミレに凝っていて、あちこちの雑木林で
スミレが咲いているのを見かければこっそり掘ってきて植えていた。
掘れない場所にスミレがある時には、種ができる時分を見計らって
種だけを採集してきて庭中に播いた。

濃い紫の普通のスミレ、薄紫のタチツボスミレ、白スミレ、
目についたスミレは何でも植えたが一番強いのは濃紫らしく
ほかの色を植えても次のシーズンには濃紫ばかりが咲いた。

白スミレは『アンの青春』第十三章に登場する花。
アンとダイアナ、ジェーンとプリシラの四人娘が
(プリシラはアンのクイーン学院時代の同級生である)
「人の魂を花に喩えると…」という話になる。
「プリシラの魂は金色の水仙、ダイアナのは赤い、赤いバラ、
ジェーンのはりんごの花、ピンクで、健全で、やさしいのよ」
というアンに、プリシラが「それじゃああんた(アン)のは
芯に紫色の筋が入った白スミレよ」と言う。

それで、お庭番は是非自分の庭にも白スミレがほしいと思った。
ところが先に書いたように、何度植えても白スミレは消えてしまう。
高校に入った年、そのことをクラスメイトにぼやいたら
その年の12月5日、その友人が誕生日プレゼントに
白い花を咲かせる肥後スミレの種とピンクの南山スミレの種を
同封してくれた。懐かしい思い出である。お庭番は喜んで庭に播いたが、
その肥後スミレもいつの間にか消えてしまった。

そしてその次の年だったか、ガーデンセンターで匂いスミレを
手に入れて植えたら、それは日本産のスミレよりも強かったらしく
そればかりが庭いちめんに増えて、他のスミレを駆逐してしまった。
以来、近所の林にタチツボスミレは咲くが、お庭番の庭で咲くのは
西洋種の匂いスミレだけとなってしまった。元の家から引越すとき
匂いスミレも一株だけ掘って一緒に引越し、今の庭に植えた。
そしてその株は、一年でまた庭いちめんに増えた。


【その2.西の都からスミレ弾来たること】

先週の、連休中のことである。
裏チームの郵便受けに小さな包みが入っていた。
開けてみるとそれは西の都に住むYさんからの贈り物であった。
Yさんは三月の京都旅行の折に大変お世話になった人で、
クラシックなカフェーに連れて行っていただいたり、
とある秘密の場所に連れて行っていただいたりした。

その時、仏蘭西産の小さな缶入りのお菓子を頂戴した。
アニスの種を芯にした白い丸い砂糖菓子で、
フラヴィニーという地方の伝統的なキャンディだという。

バラ、オレンジ、肉桂など色々な香味のものがあって
その時頂戴したものはバラの香りのもの。
目の覚めるような鮮烈なバラの香り(天然香料)がして
舐めていると最後に芯になっているアニスの種が出てくる。
その種を噛み潰すと甘いスパイスの香りが立つ。

貴族の婦人が息の香り付けに使うような上品なお菓子である。
じっさい貴婦人の化粧台に香水や白粉と一緒にあっても
違和感のないような、古風な美しい絵のついた楕円形の
白い平たい缶に入っている。言われなければお菓子には見えない。
イギリスのヤードレーの香料石鹸の缶に似た雰囲気である。

そのアニスキャンディの、今度はスミレの香りのものが
送られてきた。なんという偶然、ちょうどそれが届いた日は
食事当番が近所のリカー専門店で「スミレのリキュール」を
見つけて買って帰ってきた日だったのである。
食事当番、狂喜した。これは是非一緒に写真を撮らなければ。

そして一週間。撮影チャンスを待っていたのだが
毎日毎日雨続きで、一向に写真向きの天気にならない。
仕方がないので今日、今にも降りだしそうな中で撮影決行。


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これが、いただいたアニスキャンディの缶。
ピンク色のバラで囲まれたのが以前戴いたもので
こちらは既に食べつくしてしまった。空いた缶に
薔薇色のビロードで作った針刺しを仕込んで
携帯用ソーイングセットを作ろうと思って持っている。

バラの香りの方は、花輪の中心に古風な牧歌調の
男女が描かれているが、スミレの香りの方は
シンプルにスミレと金色の枠と菫色の文字だけでできている。
スミレの缶は、森茉莉の小説や随筆に出てきそうな雰囲気である。


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バラ缶の絵柄を拡大したもの。
女性の膝にはバラの花が一束置かれ、
男性が手に持っている小さな筒から女性の掌に
さらさらと零されているのはアニスの種であるらしい。
(アニスの種は、フラヴィニーの特産なんだそうである)


【その3.食事当番、スミレ弾を味わうこと】

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これが、食事当番が買ったリキュール。
サントリーから出ている「ヘルメスヴァイオレット」というもの。
水彩画調のスミレのラベルが素朴で愛らしい。
「ヘルメス」の名の通り、壜の蓋にはカドゥケウスの浮彫がある。
カドゥケウス(英語読みはキャデューシアス)はヘルメスの杖で
杖の先端に広げた翼がついていて、軸に二匹のヘビが
絡まりあっているものである。

ヴァイオレットリキュールで有名なのはもうひとつ、
フランスの「パルフェタムール」というものなのだが
探しても売っていなかったのでヘルメスヴァイオレットにした。
大体この二つがメジャーであるらしい。
なお「パルフェタムール」とはフランス語で
「完全なる愛」という意味である。


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ヘルメスヴァイオレットと、スミレのアニスキャンディ。
缶の中身は、エンドウ豆くらいの大きさの白い硬い飴である。
どの香りのものも、見た目は皆同じ。これを下さったYさんは
「ローズクォーツやアメシストのような透明な見た目だったら
どんなに素敵だったか」とおっしゃっていたが、なんのなんの。

この香りと美しい缶だけでも充分すばらしいのに、
中身が宝石のような美しい砂糖菓子だったら卒倒ものである。
この地味な見た目だからこそ「知る人ぞ知る」で済むのであって
この缶に桜色透明や菫色透明の粒が入ってでもいたら
美しいもの好きの女性が大勢殺到した挙句高値が付き、
入手困難な幻のお菓子になってしまうに違いない。

いびつなビービー弾みたいで(ビービー弾よりは大きいが)
スミレの香りがすることから「スミレ弾(すみれだん)」と呼ぶことにして
お礼のメールにも「スミレ弾届きました」と書いて送ったら、ウケた。

しかしながら、この中身を食べてしまったら空いた缶に
別のお店で買ったボンボンか有平糖か、何か美しく透明な
小粒のものを入れてみて、「夢の砂糖菓子」の写真を
撮ってみたいという気もあったりはするのである。

「スミレ弾」は、口に入れた途端、実にリアルな
フレッシュな匂いスミレの香りがする。毎年スミレが咲くたびに
摘んでは蜜を舐めている食事当番が言うのだから間違いない。

(スミレの花の袋部分には、甘い香りの蜜が入っているのである。
その蜜の量は、小さな花にしては驚くほど多い。だからスミレの花は
そのまま食べても甘いのである。スミレの蜜を吸うのは知る人ぞ知る
春の楽しみである。その蜜はサルビアよりもホトケノザよりも甘い。
食事当番はこのことを小学校時代に上級生から教えてもらった。)

少し舐めていると、そのフレッシュなスミレの香りは消えて
後から「オリスルート的スミレ香」が現われてくるのがまた不思議。
オリスルートとは、イリス(ニオイアヤメ)の根を乾燥させたもので
伝統的に「スミレの香りがする」と言われている香料である。
ポプリの保留剤(香りを長持ちさせるもの)や香水の原料として
広く使われている。お庭番がポプリ作りに凝っていた時期があったので、
この香りには馴染んでいる。

オリスルートはスミレの香りがする、というがお庭番に言わせれば
フレッシュなスミレとオリスルートの香りは全く違うと言う。
もっと薬草的で苦味があり、スミレ香料のつんとした芳香の中に
ビャクダンプラス何か苦い樹皮のような香りが加わった感じだ。
ポプリの保留剤としてのオリスは、勿論食用ではないので
口に入れてみたことはなかったが、こうしてスミレ弾を含んでみて
オリスルートとビャクダンの香りには共通点があることが
はじめてわかった。食事当番とお庭番にとって新しい発見である。

「スミレの香料」とフレッシュなスミレの香りというのもまた違っていて
香料としてのスミレの方がつんとした青っぽい香りがする。
長く嗅ぎすぎると頭痛がしてくるくらいである。フレッシュなスミレは
もっとふんわりとした甘い香りで、嗅いでも頭痛がすることはない。
なお、天然のスミレの花から取った香料は現在非常に希少であり
「スミレの香料」と言ったら今はほとんど合成だそうである。

その「オリスルート的スミレの香り」がするスミレ弾であるが
これはこれで面白みのある香りである。ただ、バラの香りの
「バラ弾アニスキャンディ」に比べると、かなり癖があるので
好き嫌いの分かれる味だと思う。食事当番は両方とも平気だ。

「バラ弾」が「貴婦人の化粧台が似合いそうな香り」だとすれば
スミレ弾の、苦み走って冷たいスミレと白檀の混合体的香りは、
古い時代の、貴族の血を引く巴里の伊達男に似合う香りである。

森茉莉の小説に登場する「ギドウ」あたりに、こんな香りの
香水(オリスと白檀をベースノートにしたスミレの香水)を
着けていてほしいような感じだ。煙草の香りとも合う香りである。
バラや、ほかの花、果物の香りが煙草の香りと混ざると
実に嫌な香りになるのだが、このスミレ弾の香りならきっと大丈夫だ。
オリスの、白檀とも一脈通じる苦味のある香りが、煙草に含まれる
苦味と甘味の混ざった香りともつながりを持っているからだと思う。


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【その4. 食事当番、ヴァイオレットフィズを作ること】

さてヴァイオレットリキュールである。
ヴァイオレットリキュールは、ゼリーを作るために買った。
表テントの方で「石そっくりなお菓子」を作るのに凝っていて
表当番が好きなフローライトそっくりのゼリーにするため、
菫色と緑色のリキュールが必要だったのである。
緑色のリキュールは「ミドリ」という名前のメロンリキュール。
(これは後日、写真で紹介するつもり)そして菫色のは、
ヘルメスヴァイオレットである。

勿論ゼリーだけでは消費しきれないので
普通にカクテルとして飲むつもりでもある。
ヴァイオレットリキュールを使った代表的なカクテルは
「ヴァイオレットフィズ」というのと「ブルームーン」というのがある。
シェイカーが必要なので、初心者用のカクテル用具セットも買った。
小ぶりのカクテルシェイカーとメジャーカップ、小さなレモン絞り、
ステアするためのマドラー一本、アイスピックのセットである。

カクテルシェイカー、欲しかったんだ。これがあれば
森茉莉の『日曜日には僕は行かない』に登場する
砂糖なしの冷たい珈琲を作ることができる。
普通に氷の上にコーヒーを注ぐのではなく、
カクテルシェイカー(森茉莉式表記では「シェーカア」)に
氷とコーヒーを入れて振り、急激に冷やすのである。


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ヴァイオレットリキュールの色を確かめるために
ためしにガラスの器に少し注いでみた。
フレッシュなヴァイオレットの香りか、スミレ香料の香りを
期待して鼻を近づけてみたが、そのどちらの香りもしない。

最初にわかるのはレモンの果皮の香りだ。ヴァイオレットといっても
スミレの香料だけを使っているのではなく、柑橘類の果皮や
コリアンダーなどのスパイスがブレンドされているので
スミレの香りは案外目立たない。ホンモノのスミレの香りを
よく知っている人が期待して飲むと「えっ?」と思うだろう。
ヘルメスヴァイオレットより「スミレ弾」の方がよっぽどスミレである。

ホンモノのスミレ>スミレ弾>>>>>ヘルメスヴァイオレット
それぞれの香りの印象を不等式で表すなら、こんな感じ。

(コリアンダーの葉っぱの方はエスニック料理でよく使われる
いわゆる「シャンツァイ」であるが、それの種の方である。
シャンツァイとは似ても似つかない甘い香りがして、
焼き菓子によく使われるスパイスである)

色は美しい青紫系である。アメシストよりも青みがあって
やはりヴァイオレットフローライト(菫色の蛍石)か、
あるいはアイオライトという石の色に似ている。

アイオライトは青みの強い菫色をした透き通った石で
「ウォーターサファイア」というフォルスネームでも知られる。
綴りはIoliteである。Io(アイオ)は希臘語の「スミレ」で、
liteは「石」という意味なので直訳すれば「スミレの石」だ。
希臘語ではIoはそのまま「イーオー」と読む。
ゼウスに愛され、正妻であるヘーラーの目から隠すために
白い牛の姿に変えられた美少女の名前でもある。
菫色の美しい瞳をしていたので「イーオー」と呼ばれたそうだ。

なお、森鴎外の孫娘に「五百」と書いて「いお」という名の人がいる。
森茉莉の弟、森家の末っ子である「類(るい)」の娘さんである。
森鴎外の子供・孫の名は一部の例外を除いて全て鴎外が
西洋の名に漢字を宛てて命名した。「いお」も鴎外の命名で
希臘神話の可憐な少女に因んだ清楚な名前である。

神話によれば、白い牛にされたイーオーは
夫の浮気を疑うへーラーによって監視されることになり、
五百ならぬ千の眼を持つ怪物アルゴスがその任に当たったという。
決して眠ることのないアルゴスの監視からイーオーを救うため
ゼウスは息子のヘルメスをつかわした。ヘルメスはアルゴスに
シュリンクスという名の葦笛で眠気を誘う曲を吹いて聴かせ
やっと眠ったアルゴスからイーオーを解放したという。

ヴァイオレットのリキュールに「ヘルメス」の名がついているのも
もしかして命名した人がイーオーの神話を思い出したせいかもしれない。


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用具も揃えたことだし、一番簡単なカクテルを作ってみた。
「ヴァイオレット・フィズ」である。ヴァイオレットリキュール45mL,
レモン果汁20mL、砂糖ティースプーン一杯をシェイクして、
氷を入れた背の高いグラスに注ぎ、ソーダで満たして軽く混ぜ合わせる。
薄紫色の、タチツボスミレみたいな色のカクテルができた。
せっかくなので庭のニオイスミレの葉っぱを摘んで、記念撮影。
ここにホンモノのニオイスミレの花も摘んで添えたかったのだが…
いかにもスミレっぽい、この濃い紫のつぼみはニオイスミレではない。

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一つ前のつぼみは、ヴィオラのつぼみである。
開いた花を、グラスの縁にひっかけて飾ってみた。
だって、できあがったヴァイオレットフィズを飲んでみたら
レモンを絞りすぎたせいかその香りばかりがして、肝心の
スミレの香りがあまりしなかったのだもの。だから雰囲気と
彩りを加えるために、花を挿したのだ。

普通にカクテルを飲ませるお店でヴァイオレットフィズを頼むと
こういうトールグラスで出てくるが、無論花飾りはついていない。
生の花を飾ってみたのは、食事当番の趣味である。
ありえない話であるけれど食事当番がカクテルバーをやるなら、
スミレの花の季節だけはヴァイオレットフィズにホンモノの
ニオイスミレの花を挿して出す。花を持ち帰りたいお客様には、
葉っぱで包んで根元に濡れティッシュをつけてさしあげますですよ。

濃い紫のスミレの花をこうして飾れたら、素敵だったろうになあ。
ヴィオラとヴァイオレットは親戚同士だし、ヴィオラもそれなりに
甘い香りがするのだけど、スミレの香りとは違うのだ。
ヴィオラの香りはスミレほどツンツンしていなくて、
もっと素朴で善良そうな甘い香りなんである。

…なお。
ヴァイオレットフィズにはティースプーン一杯の砂糖が入ることもあり
割と甘くて口当たりのいいカクテルである。レモンの香りも目立つし
「ぜ~んぜんスミレでもないし、さわやかでお酒っぽくないじゃ~ん!」と
油断して飲んでいたら、後から効いた。

喉ごしはまるきりソフトで胃が熱くなったりもしなかったのに、
トールグラスに一杯飲みきってしばらくしたら体が温かくなって
気分がほわんと緩み、完璧に酔っ払った!油断大敵。
ろまんちな色彩をしていて甘くても、これはお酒なのである。
by ura_hoshimi | 2006-05-14 20:14 | 食事当番記す